娘の為の簡単レシピ
正義とは誰か!ここに答がある(かな?)

 

2004年3月分

    弥生3月春の雪 雪の舞う日に卒業の息子

☆ここでは、正義が毎朝、どう私をいじめているのかを披露します☆

07:57 <himemaru> まだ 何もかんがえてないもの
07:58 <himemaru> お馬鹿正義日記とか。。。。
07:58 <himemaru> いいかもしれない
07:58 >seigi< おれは 管理者だから いくらでも 削除できる
07:58 >seigi< 検閲できるのだ
07:58 <himemaru> ふふん
07:59 <himemaru> 言論の自由を
07:59 <himemaru> 要求します
07:59 <himemaru> 200 もいらないわ
08:00 <himemaru> 10あれば、正義日記できそう

 

3月29日(月)

土曜、日曜と正義クッキングの美味しそうな料理に触発されて、久々に楽しく料理をする。

土曜日=丸のまま一匹の魚を求めて車を走らせる。うーん、種類が少ない。お刺身で食べられる生の一匹ものは、イカ・アジ・イナダ・鯛だけ。

鯛に気を引かれたのだが、倹約・節約主婦として、イナダを買い求める。なんといっても鯛の1/3 のお値段だし。

土曜日は半身をそのまま刺身で頂く。残りは酢で柔らかくした昆布で挟んでラップでぴっちり包み冷蔵庫に。

魚の硬い皮の引き方を魚屋さんのお兄さんに教わる。包丁を入れたら、皮を左右に動かすのだという。包丁を動かすと皮が切れやすくなるからだそうな。私はずっと包丁を動かしていた。

「なんだ、そんな事も知らなかったのか。常識だ!」と、あほ正義にあざ笑われる。

 

日曜日は饂飩作りに挑戦。簡単そうだったが、出来上がりは「・・・・スイトンみたい・・・」。

とある手打ち饂飩のサイトにゆで時間が15分〜30分とあったので、茹ですぎじゃない?と思いながらも20分茹でたのだ。出来上がりは表面が溶けてしまっていた。

今朝、その原因を正義と追究。「なんだ!失敗か!ぎゃはは」と言われながらも、練りこみが足りなかったのでは、茹ですぎでは、と二点が浮かぶ。

本日の夕食は私一人だった為に、昨日の失敗の検証のために、再度切ってあった饂飩メニューにする。。

昨日は、釜揚げにしたが、本日は、茹で時間10分、水洗いをして、少々煮込み、でやってみた。

おお!いいじゃないですか。つるつるとして腰のある美味しい饂飩となっていた。昨日の昆布と鰹節で贅沢にダシを取った汁も、これならぴったり。

昆布〆をしたイナダは、二日たっていたが、綺麗な切り口で味もOK。魚の生食を翌日に持ち越したことがなかったが、さすがにお酢の消毒作用はすごいもの。先人の生活の知恵はあなどれないものですね。

 

 

『お豆腐は水洗いをするかしないか』の検証の為に、お豆腐を5丁用意して、いろいろな条件のもとに常温にさらしておいている。

実験開始は3月27日(土)である。以下の5通りを用意してみた。

1、パックから出し、水洗いをしてお皿に置く。

2、  パックから出し、そのままお皿に置く。

3、  パックから出し、水洗いをし水道水に浸して置く。

4、  パックの口をあけ、もとからの水に浸したままにして置く。

5、  パックのまま、封をあけずに置く。

 

水洗いが果たしてお豆腐の雑菌を取り除くに効果があるかどうかを検証する為なのだが、問題はどうやってそれを確かめるか?にある。

あきらかに目に見える変化が、例えばコロニーが出来るとかが、それぞれ別にあるなら良いのだが、全部同じようだったらどうやって確かめるか。正義は「きっと目に見える違いは殆どないだろうな。5日経ったら口にいれろ」というのだ。

「食中毒になるのはいやだ」「腐ったものを口にするのはいやだ」と反発する私に「ぺっ!と吐き出して、水でうがいをすればいいんだよ」と、いとも簡単かつ無責任に言う。

私はどこかの正義と違ってデリケートなのだ。死なないまでも蕁麻疹ができたらどうしてくれる?大学に入って新歓コンパで初めて飲んだビールの翌日に、蕁麻疹ができて医者に通った経験を持つ身なのだ。

今夜娘が一泊で帰宅するので、5皿を並べたお盆をそのまま持ち帰ってもらい、正義のもとにスパイ大作戦をしてもらうのが一番かもしれない。口にしてペッ!して下さいませ。

しかし、こんな馬鹿な事に対して、娘に片棒担がせるには、あれこれと経費がかかるだろう。やっぱり他の事を考えないと。

 

3月24日(水)

息子が(隣の)アパートに引越し自立してから10日が過ぎた。

食事は、なんとか内容を問わなければ毎食食べている様子。まぁ栄養失調になるなどの失敗も、親がサポートできる間のほうが良い経験となるだろうと思うので口出しをせずに見守っている。

ケーブルテレビが見たいようで、二日に一回は夜中に来ているのがわかる。とはいえ目に余るような依存はしてきていないので、まぁ良いか、とお目こぼしをする母。

 

東風はとうとう1600を切ってしまって、しかももう二日間も戻る事ができない。

可哀相に思ったのか、正義がHNとっかえこを思い出してくれた。本当は1500を切ったら正義と私のHNを全とっかえする予定だったが、私もちょっぴり進歩したので、1600で許してもらう。

今朝、初めてのとっかえ卓。私が出した牌でロンをした正義から「あたるの しのびないな」の言葉が出る。

そりゃそうだろう、自分で自分をボロボロにするのだから。私は1710で預かった正義HNを、見事に15下げた。

しばらく「ひめ丸」が行儀悪いような事があっても、驚かずに、また私がおかしくなったとは思わないでくださいませ。

 

3月14日(日)

今日の夕食は、息子が始めて一人で作る夕食におつきあい。

メニューは ウィンナー、ほうれん草のおひたし、冷やっこ、ふりかけ

なんだ、簡単じゃないか、と思うだろうが、息子が小さな台所で初めての炊飯器、初めての鍋を使って、ご飯を炊くのからお湯を沸かすのまで総て一人でするのだ。

私は、息子の部屋のコタツに入って、「本でも持って来て読んでたらいいのに。まぁそこにある漫画でも読んでたら」と息子が勧めてくれた漫画を読みながら横目でチラチラ。「ウィンナーもう茹ってるかなぁ」というような声が聞こえると「いいわよ」と返事をする。漫画の内容は余り頭に入らなかった。

お豆腐はパックから出して水洗いをする時に、早速蛇口の下に直接お豆腐を持っていってしまい、1/3を崩してしまう。

「えぇ!もったいないなぁ」と言う息子。水流を手で受けて柔らげる事を示すと、ふんふんと頷いている。

「お米は自分ひとりだったら1.5合か」と最後まで綺麗に浚って食べて、納得した様子。食べ終わってから「物足りないでしょ?」と聞くと「うん」。

お肉を買ってきて焼くとかは、まだまだ先の話になるだろうから、バイト先のお店に100円でお惣菜も売っているそうなので、「バイト帰りに一品くらい買ってくればいいのでは?」と提案。

やっているうちに慣れるだろう。果たして自分で作り続けるのだろうか。ネットで「卵料理」「簡単な料理」とかを検索すれば出てくるから、その通りに作ってみれば良いから、と言い置いて「ごちそうさま」で帰宅した。

洗い物はもちろん息子に任せてきた。

上記のメニューといえないメニューで、お米を研ぎ始めてから食べ終わるまで2時間かかった。

がんばれ!!息子

 

3月13日(土)

今日、かわいいお馬鹿息子ちゃんの引越しだった。1ルーム+4畳ロフト(立てる高さのあるロフト)に引越し。

朝の9時から始めたのだが、引越し先の荷物の片付けから始めたので、引越しが完全に終わったのは6時半。

もっとも途中で、入学祝を持参してくれた親戚がいて、息子の部屋でゆっくりとお茶をした2時間半があったが。

冷蔵庫、洗濯機、電子レンジ、炊飯器も揃い、今さっきちょっと覗いたら、お隣のぼっちゃんが早速お客にきていた。しきりに「いいなぁ、広いなぁ。うらやましいな」とニコニコニコニコ。当の息子は、引越しの最中はニコニコ顔だったのだが、夕食を食べに戻ってきた時から浮かぬ顔。

友人の誉め言葉にも、アイヅチを打つでもない。明日からの生活への不安が、嬉しさを押しのけてしまったのか!?

 

3月9日(火)

娘が昨夜帰宅してきた。たった一泊だけだが。今日の昼間に、高校時代のサークル(?)仲間の集まりがあるとの事。

それが終わり次第、本日中に大学の方に戻り、明日から合宿だそうだ。

3月の終りになると追い出しコンパ、試合などなどがあり、4月からはアルバイトも入るので、なかなか帰ってこれない、と言う。

春休みだって一ヶ月近くある、夏休みだって、二ヶ月弱はある。なのに、長く帰ってくると暇なのだそうだ。

今更だが、入学式の日に、別れが辛くて大声を上げて泣き出した娘を思い出す。

成長したのは嬉しいが、もっと母と遊んで欲しい。

 

今は大学の合格発表の時期。あっというまに一年が過ぎた。

娘は、楽しく遊びながら、お勉強への興味を薄れていないようだ。必須のレポート以外にも、大学の先生からお借りしたという、サイエンティフックアメリカンの雑誌を今回の帰省にも持ち帰り、電子辞書で単語を引きながら日本語訳をしている。やってみると良い、と先生がおっしゃったのだそうだ。

(ちなみに、この雑誌を娘へのプレゼントとしてサイトから申し込んだのだが、何故か配達がされず、申込が不成功に終わった一年前。娘は楽しみにしていたので、書店で買い求めなさい、と言っておいたのだ。見つからなかったのか、注文するのが面倒だったのか、で一年間娘は手にいれられなかったのだ)

昨夜の夕食後に、パソコンに向かって和訳をしながら「お母さん、これ見て」とその雑誌を見せてくれる。帝王切開で生まれる赤ちゃん、胎盤とへその緒、の写真などなど。「臍帯血には幹細胞が多く含まれているから白血球治療にね、云々。臍帯血の権利が誰に属するかなどいろいろな問題があるのよ、云々」と説明してくれる。

「単語が全然わからないのばっかりで、文法的には易しいのだけど」とか。だとしたら読み進んでいるうちに単語も覚えて慣れてくるだろう。

おもしろそうねぇ、と一緒に話をしていたが、一年の大学生活の中で、いまだに勉強への意欲は無くなっていないらしい。

「今のところは、5年の院に進学するつもり充分よ。ただまだ一年だから具体的に、何を専攻するかなどは早すぎて(^^;)」だそうである。因みに最後は「ねぇ、新しい電子辞書買って。これもう5年も使ってる」だそうである。

 

それに乗じて、髪を茶色にブリーチしている息子が、洗面所から「わしの大学入学祝いはー♪」と叫んできた。ブリーチ液を頭につけたまま、何かと母と姉と二人で話しをしている居間に姿を見せては、「その格好で来たらダメ。液が垂れたら大変でしょ。臭いし」と追い払われていたのだが。それでも可哀相なので、間のドアを開け放しておいたので、姿は見えるし声も聞こえるのだ。

私が返答するより先に娘が「あら、ノートパソコンが入学祝でしょ。私はそうだったわよ」と。

なんとなく納得してしまった息子だったのだが、そのままにしておけば良いのに、私が「あのね、そういう時は、子ども同士で結託して親の脛をかじる相談をするほうが有利じゃないの?」と言ってしまう。

娘と息子は、二人でニヤリと顔を見合わせて改めて、娘「電子辞書!」息子「ホットカーペットとコンボ!」と叫びだす。

母「バイトのお金で買いなさい!」である。

 

久々に子どもが揃って楽しい日だった。

 

                                     

3月8日(月)

日曜日の東風は、正義が書いている。とうとうラス日記が再開されてしまった。

とは言っても、今朝は正義が下記のように言い捨てて、私に仕送りをしてくれる為に職場に稼ぎに行った時には、ちょっと貯金もできていた。

08:22 (himemaru) いってらっしゃい♪

08:57 (himemaru) いってらっしゃい。いい子の正義ちゃん

08:57 (himemaru) いつもいつも 今朝のように 愛する正義 でいてくださいませね

08:57 (seigi) どぶにはまって その弾みでガードレールをその 石ころ頭でへこませてきなさい

08:57 *seigi quit (Leaving)

ひめ丸 試合数:6582 Rate:1633.08

思わず、打っている卓で「愛してるわ」と叫んでしまった。なんと親孝行な息子だろう。

正義は嬉しさの余り気持ち悪くなって、観戦にいた栞ん♪(若い女性)に心配をかけていた。

 

愛する正義に、忙しい中でラス日記を再開させては申し訳ない、と日曜日の午前中に落とされまくって泣きながらわい卓で稼いだのだ。

22試合もして、なんとか41上げている。

日曜日午前の終り  ひめ丸 試合数:6560 Rate:1592.32

 

3月6日(土)

あーあ。とうとう正義のいじめに耐え切れずに1600陥落。

一年間よく頑張った、と自分で自分を誉めたい・・・・・。

 

3月5日(金)

息子の高校卒業が終わった。という事は、はい、季節ですね。空の巣症候群の。

 

この所、仕事などやる気がない。ため息ばかりの日々である。欝なのだ。

仕事と同時に関わっている様々な問題にも「これをやっても所詮様々な制度の壁にぶつかるだけなのだろうし」などと、現状を知っているだけに現状打破の思いよりも、諦念にも似た思いを持ってしまう。これでは現状の変革など望むべくもないのだが。

娘の時も同じ状態になった。仕事と子育てに忙しくしていた日々が途切れ、戻りようもないのがわかるだけに、空っぽになってしまうのだ。I miss you. 成長した子どもの姿に喜ぶのも、手元にいない虚しさも、相互に矛盾がない過保護母の心中だ。

と、自覚していようと、どのように説明をつけようと、うつ状態が改善される訳はない。

変化した後の生活に慣れるしかないのだ。今のままだと、仕事を辞めても引きこもり状態になるだけだろう。

娘の自立に際しては、自分が欝状態になるなど、夢にも思わなかったが。

掌中の玉、なるほど言いえて妙な言葉だ。大事な大事なものが無くなってしまう。

子どもが、いつまでも自分の物と思ってはいけないのだが、また思ってもいなかったが。

しかしずっと身近でまとわりついていた子どもの姿が無くなるなど、その場にならないとわからないもの。

子ども達は、自分が離れていても親が変わらずに、そこにいると思えるからこそ、安心して巣立っていけるのだろうが。

残された母鳥は、広くなった巣で身の置き所を探して探しあぐねる。

 

口の悪い正義には、老人性欝、などと言われる。

まぁ、正義とばか話をしていると、ニコニコしてくるので「今朝の欝はどこにいった!」などと言われるが。

今晩も「くたくたなのに」と、くたびれ果て、ついでに酔っ払った正義に、お付き合いをしてもらった。

勿論いじめられたが。よっぱらいめ!

せめて少しの間は、優しくしてもらいたいものだ。

 

3月4日(木)

昨日の正義の日記を読んだ。

またまた私を悪くする脚色がしてあるとは! 私の名誉の為に、これは反論をする必要がある。

 

>しかし、しかしですな、もし皿を使わないようだったら「返せ」と のたまわった。

 

これは、確かに「返して」という言葉を使ったのだが、「返して」もらいたいと思う状況を省略している。

二枚のお皿のうち一枚は頂き物で、使わないのならどなたかに上げてくれてもぜーんぜん構わない。おまけなのだから。おまけとは言っても、気に入らないお皿ではなく、既に我が家には大皿は複数あり、使う機会がないので、「大皿が欲しい」という正義のところに行ったら良いかも、と思ったので「おまけ」としてつけた。

本命プレゼントの赤いお皿と梅酒(15,6年もの。シェリーのようにトロリとしてまろやかな口当たりになった)を、「スパイ大作戦」をして正義に渡して欲しいと、2月に帰宅した娘に託した。

苦労するのだ、正義に渡すのは。

正義は人前に姿を見せることを憚るらしく、直接渡したくともなんとしても出てこない。男は容姿ではない!いかに醜くともまったく気にしないから、と口説いても頑固に撥ね付ける。すでに二回も振られている。

まぁ、それは置いておいて。

 

何故赤いお皿を「返して」、なのか。「気に入らなかったら返して」なのだ。

赤いお皿を見つけたときに、「これ、正義へのプレゼントにいいわぁ」と思ったものだ。作者の力量の感じられる良い作品だった。

お魚好きな正義、お料理上手の正義、貧乏だと言いながら良いもの好み(値段とかじゃなく)の正義のイメージにしっくり来た。

しかし、大変個性的なお皿なのだ。でもなかなか使い勝手は良さそうな。

私は誰かにプレゼントする時には、自分が好きなものを差し上げたい。義理のからんだ贈り物では無い限り。

選び手が満足、喜びの気持ちで選んだものを、先方が気に入ってくれたら、これはプレゼント冥利につきる。

とは言っても趣味に合わない事は十分に考えられる。趣味に合わないものが身近にあるのは辛いことだろう。場所ふさぎになるだけだし。

お馬鹿な正義は「皿を使うたびに、私を思い出すのは辛い」と言ったが、その辛さを補ってあまりあるほど気に入ってくれたら良いのだけど。

 

という事で、そのお皿を気に入らなかったら「これら諸々を理解できないようなお馬鹿な正義なら、使う必要はない。ばーか!返せ!!」なのだ。死蔵されてはお皿が泣く。私のところに出戻っていらっしゃい、可愛がって使うから、という思いである。

 

そのお皿の写真を見せた時に「難しいな」とのたまった正義。難しく考える事は無い。お皿はお皿。料理を盛りつけるもので、仮にもお皿なのでその用途は十分に果たせるのだから。別にお皿にあう料理を、などと考える必要はないので、主役はお料理。お皿が自己主張してしまうようでは、本末転倒。お皿をなんなく従わせるお料理を作ってご馳走してくださいませ。

 

ふぅ、、、、木曜日。8時からメンテ。私は、がけっぷち。成り行き上他の人と打って1600を落としてしまう訳にはいかない。

正義が春眠をむさぼっていて、今朝も待ちぼうけである。

 

3月1日(月)

息子の卒業式。10時からの開始。ぎりぎり間に合った。

240人ほどの卒業生の中、名前を呼ばれて立つ息子。周囲のお子さんの中で改めて息子の背が高いことに気がついた。

ちゃんと成長してるのですねぇ。お馬鹿息子ちゃんも。

 

中学高校と6年間通学した学校。息子にとってはのんびり楽しく生活できた学校だった。

親にとっては・・・・。深く言うまい。この学校を選択したのも親の責任。息子が楽しく過ごせた事をありがたく思うべきだろう。

 

謝恩会も終わって帰宅。息子が『学業優良賞』を頂いたことを、娘に知らせるために電話。(高3一年間に関してだが)

あの ぶぶちゃん がスポーツではなく『学業』で優良賞を頂いたことに驚いた母。

娘も「へーーー。ぶぶが学業優良賞!」と笑いを含んだ声で「卒業おめでとメールは、終わったのだけど」と言いながら改めてメールをするとの事。

 

保育園にお迎えに行き帰宅。そのまま私の足にだっこちゃん風にしがみついていた息子を、ずるずると引きずりながら夕食支度をした頃を思い出す。最初の歩みは丁度お誕生日の頃だったから、一歳前。

ずっと甘えん坊で過ぎてきた息子。中学、高校の頃の反抗期の頃も、足の一部で私に触りながら「うるせー!」と言っていた息子。

その彼も高校を終わった。